新聞記事より

今朝の朝刊1面に

「復興住宅 孤独死208人」と、東日本大震災で被災し、

復興住宅入居者の孤独死について取り上げられていました。

わたしの研究は「孤独死(孤立死」予防についてなので、

切り抜きをしておいたのですが、予防は本当に難しい問題です。

 

数年前、宮城県気仙沼を旅した際、ボランティアで訪れた時に、

知り合った方の新しい復興住宅を訪問させていただいたのですが、

真新しい中層階の団地でした。

その住宅は仮設住宅に比べて、住居内は住みやすく、音を気にしないで

ゆっくりできるのは助かるのだが、ほとんどの住民は、高齢者なので、

今後心配ですと言っておられました。

その方は、ご夫婦とも60代後半だったで、自治会のお世話とか

されていました。

 

今回の記事を見て、その時、不安を感じたのが思い出されました。

都会住まいの私たちは、団地やマンションなど集合住宅は当たり前ですが、

地方都市の方々は、平面的な暮らしによる近所づきあいをされていた

方々がほとんどです。縦の暮らしに果たして慣れるのだろうか、

鉄の扉の中にとじこもってしまわないだろうか、そんな風に思いました。

 

ボランティアとしてうかがっていたころ、皆さんのおっしゃっていた

「せっかく仮設で友達もできたのに、また新たに引っ越したくない」

「震災前のご近所さんは、どこにすんでいるのか、役所はおしえてくれない」

「子供たちは、都会に行ってしまった。残るのは年寄りばかり」

などの不安が、現実となった、そんな風に感じます。

 

孤立死対策には、つながりが必要、居場所づくりが必要、孤立化しないように

積極的に知り合いを作ろうなどというものの、性別、年齢、生活状況、

また性格であったり、簡単にはいかない問題なのです。

人づきあいが苦手なひともいるし、身体的衰えや障がいにより、

積極的に外出はできない人もいます。

 

また、見守りにも限界があります。

誰にも看取られず、自宅で亡くなった人が孤立死といわれています。

自宅で最期まで暮らしたい、そういった望みをかなえるには、

死ぬのはいつ?という死期とも向き合っていかなければならないのです。

自宅独居者の場合、ちょうどなくなるときに居合わすことなんて、

不可能に近いのです。

在宅のための医療や介護の十分な確保や人との関係性をどう築いていくのか

など、コミュニティ全体で考えていかなければならない深刻な問題です。

これは、復興住宅だけの問題ではなく、人との関係性が希薄になった、

都会に住む私たちも他人事ではなく、やはり自分事として

捉えていかなければ、来る2025年は目の前ですから。