東京の新国立競技場の建設用地で人骨が発見されていたそうです。
2、3日前の新聞に掲載されていました。
建設中に発見されていたようですが、検証を進めた結果について最近発表に。
江戸時代にその地にはお寺があったようで、その寺に埋葬されていた人骨だそうです。
大正時代にお寺が別の場所に引っ越しした際、取り残されていた人骨です。
わりあいしっかりとした人骨ですので、どうやら土葬骨かもしれませんね。
さてそのお骨はどのように処理されるのでしょう。
お寺を探しで、埋葬しなおすのでしょうか?
共同墓地へ合葬するのでしょうか?
以前、大阪でも似たような記事が出ていました。
うめきた2期工事にあたり、事前調査の際に人骨がたくさん発見されました。
ここは、もともと梅田墓という名称の共同墓地でしたので、さもありなんです。
埋めもどすという話だったと思うのですが、果たして行方はどうなってしまったのでしょうね。
江戸時代、大阪には7つの共同墓地があったそうで、
【梅田、南浜、蒲生、千日、飛田、小橋、葭原など】
近松門左衛門などの戯曲にも登場する、お盆に7つのお墓をめぐる風習もあったようです。
今は昔、梅田や葭原(天神橋筋)、小橋(高津あたり)、千日(ビックカメラあたり)
飛田(動物園前駅あたり)は今は廃され、南浜や蒲生などは一部を残して現存している。
廃された墓地は阿倍野の墓地など市の共同墓地に移転されているそうです。
過去の遺物が多く眠る大阪です。
掘り返せば、いろいろな埋蔵物も出土するでしょうね。
ついでに、不発弾なんかも埋まっているかもしれません。
それも歴史の証言です。
はるか昔の遺物は歴史を証明する根拠となります。
しかし調査後は、あらためて元の場所にお戻りいただき、
歴史の移り変わりをこれからもその地で眺めていただくのがいいのでは。