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距離感の取り方を間違わないように

大阪市内、マンションの1室の変死事案がニュースで報道されていました。

1室で、郵便物が溜まっているので警察に通報され、

2人の遺体が発見。

死因は一人は低栄養による心機能低下による死亡

もう一人は餓死による死亡

二人は母娘とみられ、40代と60代の女性。

死亡後数か月が経過していたとのこと。

このマンションには十数年前から入居していたらしいが、

付き合う人もなく、事情は分からないようですが、

郵便物が溜まり続けていることに対し、

だれも数か月も不審に思うものがなかったことが、

今どきのマンション事情なんだろうと心が痛い。

 

1か月前、関東でのことだが、

バス停で一人の女性が撲殺された事案について、

振り返りニュースが放送されていました。

仕事を無くし、家を失った女性が、

夜中バス停で睡眠をとっていたようで、

近隣の住む男性に邪魔になると撲殺された。

周りの人は、その女性に声をかけることもなかったとのこと。

 

昨今、社会的距離を推奨し、人との接点を持たなくなりつつある。

果たして、人とのつながりを持たないことが良しとしていいのか、

この空気感が長くなれば、コロナ後も定着してしまうかもしれない。

もしかすれば、孤立死はあたりまえの死の形態となるのかもしれない。

 

しかし、果たして私は声をかえることが、声をあげることができるのだろうか。

みなかったこと、みないようにする、そういう私もいる。

それでいいのか、そういう私もいる。

上の事案は、私たちに問いかけている。

社会的距離が定着していいのかを。