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孤独な研究、孤立を解明

今もっとも気になる語句は、

「孤独」「孤立」

そして

「ひとり」「一人」

これら似て非なる言葉たちに、頭を悩ませています。

なぜかというと、私の研究テーマ―が「孤立死」なのです。

「孤立死」という社会課題に対して、どのように取り組んでいくのかを、

またどんな取り組みがあるのかを調べ、

組織の協働関係がより有効に働くことを実証すべく研究を進めている。

孤立死の深堀をするにあたり、

上記語句の違いが大きく引っかかってきています。

いわゆる孤独死という状況は何なのかということから、

大きくみれば孤独死も孤立死も同様の死の状況を指していますが、

死の部分を切り離すと、

「孤独」と「孤立」は意味が異なっています。

孤独には、内面の心象の状況をあらわしており、実際にはうかがい知り事ができない。

孤立は、周りからの働きかけ、かかわりがなくアクセスできない環境の状況を表しています。

よくいう社会的孤立の状況ということ。

このあたりの見極めはとても難しく、今頭を悩ましております。

私的には、自宅で助けを呼ぶこともなく、死後発見されたご遺体については、

本来的には「孤立死」というべきだとは思うのですが、

「孤独死」の方がどうやら一般的になっており、

おそらく、その方がインパクトが強いからでしょう。

 

昨今。おひとり様とか孤独のすすめとか、推奨するような図書も見受けられますが、

ここでの「ひとり」や「孤独」とはどういう意味かというと、

一人の時間を楽しく過ごそうという内容である場合が多い。

死という現象を境にして、

生活の質=quality of life

死の質=quality of death

この時間軸をもとに考えている。

 

私の研究でもこのあたりが、大きく影響していくことになっています。

孤独でなくなることはあっても、孤立は避けたいということでしょうか。

 

このコロナ禍にあって、「孤独」「孤立」対策室が設けられ、

担当大臣も指名されたようです。

先日フォーラムとか開催されました。

その中での結論か提言は「孤独」「孤立」の定義がないので、

定義をもうけるとのこと。

実際には、ずっと前から定義がないって問題視されていたのですがねぇ。

まさに、いまそこですか!という思いもしますが、

ないよりましかもね。

 

今後も政府の取り組みを注視しながら、

老化しつつ脳内を鼓舞しつつ、孤独に研究進めます。