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大同小異な社会かも

蒸し暑い日が続いています。

熱中症への危険性も高くなっています。

また、コロナ感染も侮れない数字になっており、この先どう変化していくのか、

予断を許さない状況といえます。

今回で第7波、公的な行動制限は課さず乗り切っていく施策をとるようですが、

感染者が増えると、重症者の数字も高くなり、図らずもお亡くなりになる方も多くなる傾向は、

無視できないように思うのですが、

社会を動かす方に重を置くとの方針とすれば、ある程度の死亡者は仕方ないとの判断なのでしょう。

この傾向は、コロナ感染症の対応だけではなく、他の施策にもあることです。

例えば、孤立死の問題でも、背景には在宅看取りの推奨についても、

病院のベッド数の確保や年金や介護保険へのひっ迫などを加味し、

「住み慣れた家で最期まで」をキャッチコピーに在宅看取りが進めれています。

しかし、これは在宅医療や介護の充実が前提にあり、この点はおざなりにし、

在宅での最期を進めており、今後孤立死増加を防ぐことは難しいと思います。

少々の死亡数の増加は仕方ないという考えなんでしょうね。

要するに自己責任へ転嫁し、やり過ごそうという施策がずっと続いているように感じます。

戦時中の考えだってそうだし、いつもある程度の犠牲は仕方ないという考えがベースにあります。

要するに大同小異という考えかたなのでしょうね。

些末な事は人の命であってはダメだと思いますが・・・。

 

では、どうするのかだが、難しいです。

医療や介護、経済や社会の問題がからむし、正しい答えは立場によって違うのでしょう。

でも私は一人の死にこだわっていきたいと思います。