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「親ガチャ」という言葉は?

8月ももう終わりの週で、木曜日には9月となる。

ベランダごしにみえる小学校ではもう2学期が開始しているようだ。

数年前クーラー設備が導入された時より、夏休みの前倒しで8月最終週から2学期となったようです。

授業日数の関係もあると思うが、子どもたちは1日でも長い夏休みが欲しいかも。

1日はオンライン会議(市民活動の選定委員会)が入っているので、

その資料を読んでおく必要があるのですが、届いたときはまだ先だと相変わらずの先送り、

いつものように直前作業となってしまっております。

来週の火曜日は歌声サロンがあるので、その準備も早急に始めないといけないし、

用事のない時のグタグタぶりが今更ながら悔やまれます。

毎月のことなのにねぇ・・・

 

ところで最近気になっていた言葉があるのですが、

今朝の朝のワイドショーの特集でその言葉が取り上げられていました。

「親ガチャ」という新語?です。

この言葉、親の身としては、本当に心が痛く、胸にグサッとくる言葉です。

親は選べないから、底辺から抜け出せない、格差は広がるばかり、

また毒親という言葉もあります。

親側の私も、自分についつい置き換えてしまいます。

私はガチャのアウトな親なのかと。

その言葉に親子の情愛は存在しないのだろうか。

私自身、その日の生活費を賄う程度の金銭的余裕がなく、

子どもたちに残しておくべき財産は何もない。

また、子どもたちがいい暮らしができるようなコネもなく、援助もできない。

根本的な問題である頭脳もたいして賢くなかったので、

子どもたちも親から受け継ぐ才能もなかっただろうと思う。

おそらく下流老人の道をたどる親は子供にとって邪魔でしかないだろうね。

そんな風に思わせる「親ガチャ」という言葉。

今、終活や墓じまい、仏壇じまいが話題となっている。

私の周りの人(主に高齢者)たちも墓じまいや仏壇をどうするか考えている。

おそらく私の親世代以前には、あまり考えられていなかったように思う。

親の面倒や墓、仏壇は子が受け継ぐものと暗黙の了解があった。

もちろん葬儀も同様です。

だから「葬儀はいらない」と私たち世代は言わざるを得なくなってきているような気がします。

葬儀や死後の後始末も、自己責任で事前に考えておかなければならないようだ。

これから残す年数は、自分の後始末に費やさなければいけないとは、

本当にわびしい世の中にむかっているような気がします。

 

暗い話題となりましたが、本来の自己責任は、

楽しく暮らせる老後は自分たちで作るんだっていうことなんですがね。